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#02
神田淡路町×再興
「ワテラス」の10年
WATERRAS PROJECT WATERRAS PROJECT 
WATERRAS PROJECT WATERRAS PROJECT 
住む人、働く人、学ぶ人が交流。
歴史ある街が、にぎわいを取り戻す。

幾重にも歴史を重ねてきた神田淡路町。江戸の頃は武家屋敷が立ち並び、明治となっては万世橋駅を中心とする交通の要衝として栄えた。大正、昭和、平成と時代が移り変わっても文化の香りがあふれ、都心にありながら緑豊かで落ち着きを感じさせる街として、住む人が愛着と誇りを感じる街だった。だが、時代の移り変わりとともに住人が減少し、街のにぎわいが失われていった。ひとつの転機となったのは、1993年に地域の象徴だった淡路小学校が近隣の学校に統合されてしまったこと。その跡地で計画されたのが、複合施設「WATERRAS(ワテラス)」だ。安田不動産は権利者、行政、建設会社と一体となって再開発プランを練り上げて、プロジェクトを推進。2013年に住宅、オフィス、商業施設、学生マンションが集積したワテラスを完成させた。竣工から10年の歳月が経とうとするワテラスを核として、神田淡路町には今、“元から住む人”と“新しくやってきた人”そして“伝統”と“次世代”とが融合する新しいコミュニティが生まれようとしている。

「WATERRAS(ワテラス)」
「ワテラスタワー」と「ワテラスアネックス」で構成された複合施設。神田淡路町が培う「和」「輪」「環」の3つのWAをコンセプトにデザインされ、住民、オフィスワーカー、学生、来街者が自由に行き来し、交流し、憩う空間。
再開発組合理事長・
神田淡路町二丁目町会長(当時)
呉 豊良さん
1930年頃より神田淡路町に暮らす地域のまとめ役。開発計画の初期から竣工まで、理事長、町会長として、地元をまとめてワテラスの誕生に貢献。現在はワテラスタワーレジデンスに暮らし、再び活力を得た街を見守り続けている。
株式会社NSD 総務部長
盛 清重さん
2013年の竣工とほぼ同時期にワテラスに入居したIT企業、株式会社NSDの総務部門責任者。神田祭には社名入りの半纏を作成して会社ぐるみで参加している。
https://www.nsd.co.jp/
聖路加国際大学 看護学部
渡部 夏帆さん
ワテラスにある学生マンションに入居する36人の学生リーダー。ワテラス周辺で行われる町会や地元の団体などと連携した各種交流イベントやボランティア活動を通して、神田淡路町のまちづくりに参加している。
資産営業第二部第一課長
安田不動産・土川 奏
2004年入社。竣工直前から物件の管理・運営担当としてワテラスに携わる。現在は、NSD様をはじめとするテナント各社との窓口業務などビル運営全般を担当。テナント企業同士の交流を積極的に仕掛けるなど、ワテラスのオフィスとしての魅力向上に取り組む。
資産営業第二部第一課 課長
安田不動産・堂前 武
2004年入社。2006年から複数回再開発組合に出向する形でワテラスの立ち上げに関わる。再開発の最重要業務のひとつである権利変換(土地の所有権を新しくつくられるビルの権利に置き換えること)を担当。現在は、ワテラスのビル運営を兼任する形で一般社団法人淡路エリアマネジメントの運営に携わる。
[ SESSION 1 ]
街の魅力を取り戻そう。
世代を超えた再開発がスタート。
東京の真ん中にありながら自然豊かで人情味にあふれた街、神田淡路町から歴史ある小学校がなくなることになった1993年。
街の活気が失われつつあることに危機感を覚えていた地元の皆さんの想いを受け止めながら、
安田不動産による再開発計画が動き出した。
呉さん:

私と神田淡路町との関わりは、1930年頃から。それまでは銀座に住んでいましたが、母親の身体が弱かったこともあり「どこかに空気が良い場所がないだろうか」と見つけたのが神田淡路町でした。当時のこの街は木々が生い茂っていて、たくさんのトンボが飛びまわっていたんですよ。

渡部さん:

えー、すごい!信じられません。

堂前:

私たちには、まったく想像がつかない景色ですね。

呉さん:

自然環境だけでなく、人と人の付き合いも魅力的。向こう三軒両隣が親しく付き合いながら暮らしていて、人情味にあふれていました。学校、病院など何でもそろっていましたし、風紀も良くて交通も便利で、明るい活気にあふれた街でした。ところが、高度成長期、バブル期と地価が急上昇すると、住む人がどんどん減っていきました。ついには小学校もなくなることになってしまって、どこか暗い街になっていったのです。

堂前:

街に明るさを取り戻そうと、再開発の計画が持ち上がったのは1993年のことだったと聞いています。私はまだ安田不動産に入社していなかったのですが、当時地域の方々は再開発事業をどのように考えていらしたのでしょうか。

呉さん:

街の再開発に対しては、住人一人ひとりにいろいろな想いがあったようです。私は当然、活気のある街に戻って欲しいと考えていました。実は、ワテラスの以前にも再開発計画が持ち上がって、多くの住民が乗り気でいたにもかかわらず、意見をまとめきれずに頓挫するということがあったようです。そんな経緯もあったのでワテラスの計画が持ち上がった時には、すぐに全員が心をひとつに……とはいきませんでした。

堂前:

再開発計画というのは、多種多様な立場、価値観の方々が関わりますから、プロジェクトがスムーズにいかないことも珍しくありません。私たちのような開発サイドの説明が足りないと、誤解を招いてしまいます。ワテラスでも計画を進めるには、200名近い権利者の同意を得る必要がありました。

呉さん:

うん。いろいろ大変だったよね。安田不動産さんの頑張りのおかげです(笑)。

堂前:

いえいえ、とんでもない。呉さんを中心とした街の皆さんのご尽力のおかげで最終的には、権利者、行政、建設会社、そして私たち安田不動産が一体になることができました。ですが2006年頃は開発プランを検討しながらも「本当に関係者の同意が得られてワテラスが実現できるのだろうか」と、霧の中を夢中で突き進むような日々が続きました。2007年に都市計画が決定して、道路、公園の配置、建物の概要などを、 権利者の皆さんにも、行政にも同意してもらえて、ようやく先が見えて、「よし、あとはつくるだけだ」という状態になった時にはホッとしました。

土川:

都市計画決定に際し、特区提案として、エリアマネジメント組織(一般社団法人淡路エリアマネジメント)を立ち上げて、地域に貢献していくための様々なメニューを打ち出したことも、ワテラスへの賛同につながったのではないでしょうか。中でも、一般的には住居・オフィス・商業施設から構成される複合施設に「学生マンション」をつくって学生がまちづくりに参加するという仕組みは、神田淡路町の活性化への期待感を抱かせる優れたアイデアだったと思います。

[ SESSION 2 ]
ワテラスに新しい人を迎え入れて、
街に新しい輝きが生まれ始めた。
ワテラスによって、伝統ある地域コミュニティに新しい人たちが迎えられた。古くからの住人である呉さんも、企業として入居した盛さんも、学生マンションに入居した渡部さんも、同じ神田淡路町の一員となって、言葉と笑顔を交わし合う。
呉さん:

2013年にワテラスが竣工すると、新しい住民、企業、学生の皆さんがやってきて、再び街がにぎわってきました。私たち古くからの住民は、未来を感じることができる街になって喜んでいました。知り合いも増えて、世代は違えどNSDの盛さんや、学生マンションの渡部さんとはもうすっかり顔なじみですよ。

渡部さん:

お祭りやゴミ拾い、火の用心の夜回りなど様々なイベントや地域活動を通して町会の皆さんと交流があって、今では駅に向かう途中で「今から学校?行ってらっしゃい」「はい、行ってきます」と挨拶ができる間柄の方もたくさんできました。

土川:

ワテラスには呉さんたちが暮らすレジデンスだけでなく、企業が入るオフィスもありますが、ありがたいことに竣工時からほぼすべてのフロアが契約した状態でスタートすることができました。NSD様も竣工当初から、ずっとワテラスに入居いただいていますね。入居当時はどんな印象でしたか?

盛さん:

入居の際には安田不動産さんに、スピーディーな移転作業を的確にサポートしてもらったことが思い出されます。通常オフィスの移転は1年くらいかけるようですが、当社の場合はわずか4か月でワテラスへ。2月中旬に内覧した社長がワテラスを非常に気に入って、急遽手続きを進めて6月には引っ越しを完了しました。スピーディーすぎて、ご迷惑をかけた、かも(笑)。

土川:

すみません、気を遣っていただいて恐縮です(笑)。実はNSD様をお迎えした時は竣工直後で、テナント企業様の引っ越しが連続していた時期だったこともあり、十分に細やかな対応ができませんでした。その後、契約更新などを通じて担当者としてお付き合いをする中で「当時の対応は醜かった」と笑い話にしていただける関係になれて、とてもありがたく感じています。


ところで、ワテラスに移転されるにあたって、盛さんは神田淡路町という街自体をどのように感じていましたか。
盛さん:

引っ越し前は特に神田淡路町に対して特別なイメージは持っていませんでしたが、実際に移転してみると交通の便の良さを改めて感じました。複数の駅・鉄道路線が使えますし、東京駅もすぐ近く。立地も良くなってビルも綺麗になりましたから、社員から移転に対する不満の声を聞いたことは一度もありません。

土川:

NSD様はこれまで10年近くワテラスで営業されてきたことになりますが、最も印象に残るのはどのようなことですか?

盛さん:

神田祭に参加できたことです。由緒ある神田祭ですから、地域に代々暮らしている氏子でないと参加できないと思っていましたが、安田不動産さんに呉さんをはじめ町会の方々との仲立ちをしてもらい、社員が御神輿を担がせてもらうことができました。社名の入った半纏で神田祭に参加する有志の社員たちには特別な一体感が生まれ、部署の垣根を越えたコミュニケーションの活性化にもつながっています。快く受け入れていただいた地域の方々には、大変感謝しています。

呉さん:

とんでもない。私たちとしては、大歓迎の気持ちでしたよ。この街に来てくれた企業で働く皆さんは、ご近所の仲間だと思っていますから。多くの人が一軒家から集合住宅に暮らすようになって、人と人が昔のようにあまり挨拶をしない時代になっています。「せめて神田淡路町だけは、同じ街に居る人たちが笑顔で挨拶をし合う街でありたい」そうした想いを込めて、企業の皆さんにも学生マンションの皆さんにも神田祭に参加してもらっています。学生マンションの皆さんはもう親戚か家族ぐらいに思っていますよ(笑)。

渡部さん:

私たち学生マンションに入居する学生にとっても、神田祭は特別なイベントです。私は4年前に入居して間もなくのタイミングで、神田祭に参加することができました。その時「今から4年間ここに住んで街の一員として、いろいろな経験を積み上げていくのだな」という感慨がありました。お祭りで顔見知りになる方も多くて、卒業してからもお祭りにはぜひ遊びに来たいです。

[ SESSION 3 ]
ワテラスを舞台に、人と人が出会い、
明日に向かう物語が始まっている。
神田淡路町を深く愛し、住み続ける人がいる。やってくる人がいて、旅立つ人がいて、戻ってくる人もいる。いろいろな人と人の交流を活性化し、地域の発展に貢献する安田不動産のまちづくりは、これからも続いていく。
堂前:

ワテラスが誕生してから10年を迎えようとしています。皆さんは今、ワテラスにどのような想いを持っていらっしゃるのでしょうか?

盛さん:

私は企業の立場でお話しますが、ワテラスに拠点を置くことで、神田祭への参加の他にもたくさんの貴重な機会を得ることができました。そのひとつが安田不動産が手がけたテナント企業との交流です。総務部門同士の情報交換で、社内の活性化のヒントを得ています。また新型コロナウイルスが拡大した時には、当社が実施した職域接種に他企業の皆さんに参加してもらうこともできました。その他、オフィスで使う電気に再生可能エネルギーを導入いただいたことにも、とても満足しています。私たちはIT企業ですが、電力を大量消費するデータセンターを構えているわけではありませんから、社会から求められるCO2排出量削減をいかに推進しようか悩んでいました。安田不動産とワテラスにはこれからも、オフィスや不動産の視点から企業経営に役立つ提案を期待します。

呉さん:

盛さんたちのような企業の支えや、若い人たちの活力がないと、街の発展はありえません。企業の皆さんにも地域の一員となってもらうことを期待していますし、渡部さんのような若い人たちには、「神田淡路町を故郷のように思って欲しい」と願っています。

渡部さん:

私はワテラスの学生マンションに住んで4年になります。来年は就職してここを旅立つことになりますが「帰ってくる故郷のような場所ができたな」と感じています。また、学生マンションではOB会が開催されることがあるのですが、楽しそうな様子でワテラスに戻ってくる先輩がたくさんいらっしゃいます。「久しぶり」とか「おかえりなさい」といった言葉が飛び交って、すごく盛り上がっています。

堂前:

嬉しい話ですね。学生マンションを卒業してからも、ワテラスの近くに住んでいたり、個人的に地元の方と飲みに行ったり、神田祭に参加したりしている方は多くいるようです。

土川:

学生マンションの卒業生の話でいうと、去年、新しく入居した企業の社員として学生マンション2期生の卒業生と再会しました。卒業生の中には、優秀で起業した人もいるのですが、その会社が将来ワテラスへ入居するといったことが起きたら面白いなと想像を膨らませています。

渡部さん:

私もせっかくできたご縁なので、卒業後も学生マンションのOBだけではなく、街の方もみんなで集まれる機会があればいいなと思っています。ただ住むだけではなくいろいろな街の催しに参加させていただけたので、第2の故郷のような特別な街になりました。

呉さん:

ワテラスができて、いろいろな人の出会いが生まれて、街にはにぎわいが戻っています。人というのは、それぞれ違う考え方を持っていて、時に争いも起こったりするわけですが、自分の住む神田淡路町は、いつも笑顔がある街であって欲しい。そして、「調和のとれた美しさがある街」「“ここが東京の真ん中・神田淡路町なんだ”という誇りが持てる街」として未来に向かっていって欲しいですね。

土川:

期待に応えられるよう、我々安田不動産もよりいっそう頑張らなくてはいけません。

堂前:

由緒ある街の一員として我々を迎え入れていただいたことをありがたいと思います。

呉さん:

安田不動産さんは間違いなく街の一員ですよ。安田不動産の皆さんと私たち住民、街で働く人、そして行政の『四位一体』で街を盛り上げていきましょう!

プロジェクト担当土川・堂前の対談後記
土川(写真右)
ワテラスにより、高齢化していた街に若い世代が増え、世帯人口も増えてきました。特に土日には閑散としていましたが、今では他所から人が訪れるような街に。ワテラスが目指した街のにぎわいづくりは、着々と進んでいます。ワテラスのように、短期的な利益を求めるのでなく、長期保有を前提として街をじっくりと発展させていくビル運営ができるのは、非上場企業として発展を目指す安田不動産ならでは。この強みをいかして、他にはできないチャレンジングな取り組みに挑戦したいと思います。
堂前(写真左)
ワテラスができてから10年が経ちましたが、まちづくりというのはゴールがなく、持続性が大切な仕事です。今後も、ワテラスに関わる皆さんと真剣に向き合い続けていきたいと思います。「こんな方法があったのか」といわれるようなエリアマネジメントを発信し、ワテラスと神田淡路町の未来にもっと貢献したいと決意を新たにしました。